今回のテーマは学生の永遠の悩み「なぜ勉強しなければいけないのか?」についてです。
現在の日本に関して言えば中学校を卒業するまでは義務教育を受け、多くの人が高校へ進学します。そこから大学、大学院へと進学する人もいることでしょう。
学校に通う中で一度は考えますよね。
「なんで勉強しないといけないんだろ…」
「なんで学校行かなくちゃいけないんだろう…」って…
今日はそれについて考えてみようと思います!
私は、良くも悪くも素直な子どもだったので学校で勉強しなさいと言われれば何となく「そういうものなのかな」と思ってやってきました。
私自身数学が大の苦手で「数学の勉強やりたくない!」とは思っていましたが、「受験に必要」と言われて嫌々ながらも(受験のため、仕方ないんだ)と諦め、授業も(表面上は)真面目に聞いてきましたし笑
今振り返ると、チョロくて扱いやすい生徒だったんだろうなと思います笑
今回は
Q「なんで勉強しなくちゃいけないの?」
A「そういうものだからだよ」
「うるせぇ!納得できるか!」という人のためにもう少しちゃんと考えてみようと思います。
先生や大人がよく使う「勉強する理由」
先生や大人がよく言う理由として
・「勉強しないと良い学校(会社)に行けない」
・「社会で上手に生きていけない」
・「いつか必要になるかもしれないよ」等があると思います。
挙げればキリがありません笑
良く言えば素直、悪く言えば従順な人は、そう言われると仕方なく取り組むかもしれませんね。私もどちらかと言うとこのタイプでした。
「知らないよりは、知ってるほうがやっぱ良いよね。悪い成績出るのも嫌だし…」といった具合です笑
ここで、一つ意識しなくてはいけないのは
「勉強しなくちゃいけない理由」と「(学校で様々な教科を)勉強しなくちゃいけない理由」は少し違うということ。
質問する人、答える人によってこの認識のズレがある場合は、ただでさえ納得することの難しいテーマがより難しくなります。
目の前の大人or子どもがどちらに対しての「勉強」のことを言っているのか。そこをお互い合わせることがスタートだと思います。
「勉強しなくてはいけない理由」
これに関して私は「人生をより楽しく・楽に生きていくため」だと考えています。
文章が正しく読めないと、説明書が理解できなかったり契約書で騙されたりするかもしれません。
計算ができれば、買い物や抽選で得をするでしょう。
音楽の歴史や使われている技術を知れば、普段聞いている音楽がより深く味わえると思います。
スポーツに関してもそう。野球で例えると、ただ言われたとおりの握り方で変化球を投げるのと、なぜ変化する握り方なのか学んで練習するのとはマスターするまでの時間に雲泥の差が出ると思うんです。
私にとって勉強=「自分の人生を少しでも楽しく、かつ楽して生きるため」
やればやるほど人生を楽しめるようになるし、楽ができるようにもなる…そういうものだと考えています。
国的「(学校で様々な教科を)勉強しなくちゃいけない理由」
これは中々難しい笑
堅苦しい話をすると「日本を担うために最低限の学力を保つため」と言うことになります。
もう少し簡単に言うと「日本の社会を回せる人間になるため」ですね。
でも、これはあくまで国からの視点です。
ビルを建てるのにも微分積分が必要になりますし、古典を始めとした歴史的な資料を未来に引き継いでいくにはその価値が分かる人がいなくてはいけません。
そんな人間を育てるためには(一見)生活の中で不必要に思える数学知識や古典知識も学んでおいてほしいということなんです。
しかし、先程も言いましたがこれはあくまで「国目線」
そんなことを言われても「私はビルを建てる予定も古典を読む予定もないのでやりたくないです!」という人もいるでしょう。
私的「(学校で様々な教科を)勉強しなくちゃいけない理由」
これに関して私は2つの考えを持っています。
1つ目は、「自分の可能性を拡げるため」
人間誰しも好きなこと・興味があることは誰かに何か言われなくても自分で勝手に取り組むものです。
楽器が好きな人は音楽の勉強がそこまで苦ではないでしょうし、歴史好きは戦国大名の名前を楽しんで覚えていくことでしょう。
それに対して、好きではない・興味がないものに対しての勉強を自分からするという人はほぼいないでしょう。
しかし、私たちはちょっとしたきっかけで身の回りのものに対して興味を持ったり失ったりします。
今まで楽器が好きでミュージシャンを目指していた人が、ふとしたきっかけで科学者になりたいと思うこともあるわけです。(少し極端な例かもしれませんが)
その際、「俺は自分の好きな音楽の勉強だけしかしてこなかった人」と「学校の理科の授業で生物・物理・化学etcを一通り頑張って勉強してきた人」どちらが良いかは言うまでもありませんよね。
人間の心はとっても気まぐれです。前まであんなに好きだった人のことを嫌いになったりもするんですから。
今は興味のない分野の勉強も、ある日を境に好きになったり必要になったりするかもしれない。そのときに、勉強してきたかどうかは大きな差になります。
「興味が無いことだからこそ、無理矢理勉強させられておく」ことで「自分の可能性を拡げる」ことに繋がります。
特に夢や進路が定まらない内は色々なことを勉強しておいて損はないと思っています。
2つ目の理由は「嫌いなことに立ち向かう忍耐力を養うため」
これはもう「勉強の中身」というよりそれに臨む「姿勢や精神」に注目しての考えになります。
人間生きているだけで毎日がトラブルです。
社会に出たら更に大変です(社会の厳しさをまだ全然知りませんが笑)駆け出しミュージシャンになったけど、客は来ないしお金も減る一方でどうしよう…とか仕事をしていたらクレーマーが来た。何度説明しても分かってもらえないし支離滅裂なことばかり言っている…とか
考えるのをやめて現実逃避したいところですが、そうもいきませんよね。
そんな嫌なこと・考えたくないことに対して立ち向かっていく力を養うのが、「学校での自分にとって(一見)意味の無い勉強」をする意味じゃないでしょうか?
嫌だから、興味ないから…と考えることを停止してしまう脳みそではなく、嫌だけど・興味ないけど…考えてくれる脳みそはこうやって作られていくんだと思います。
「自分の可能性を拡げるため」「嫌いなことに立ち向かう忍耐力を養うため」
この2つが私の「(学校で様々な教科を)勉強しなくちゃいけない理由」です。
最後に
今回は「勉強しなくちゃいけない理由」
「(学校で様々な教科を)勉強しなくちゃいけない理由」について私なりの理由を考えてみました。
「勉強しなくちゃいけない理由」
→「自分の人生を少しでも楽しく、かつ楽して生きるため」
「(学校で様々な教科を)勉強しなくちゃいけない理由」
→「自分の可能性を拡げるため」「嫌いなことに立ち向かう忍耐力を養うため」
というのが私の現時点での考えです。
これはあくまで私の「考え」であって決して正解ではありません。
そもそも今回のテーマである「勉強をしなくちゃいけない理由」に完全な正解はないでしょう。どんな答えも「正解っぽいもの」であって全員に当てはまる正解なんてありません。
大切なのはその理由に「納得できるか」どうかです。
「勉強ができないよりは出来た方が良い」これはほぼ全員が納得できると思います。
後は、「自分が勉強する理由」について納得できるものを用意できるかどうか…
今回の私の考えに納得ができれば、それを理由に勉強していけば良いと思いますし、納得できなければ自分なりの正解を探し続ければ良いと思います。
でも、学校の勉強からは簡単には逃れられないので正解を探しながらやはり勉強をすることにはなりますね笑
もしよければ、あなたの「勉強する理由(学校含む)」も教えてください。
それでは!
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